第二次世界大戦後、民主主義と社会主義をめぐる世界諸国の対立が引き起こしたベトナム戦争。ミュージカル『ミス・サイゴン』は、その歴史の大きな渦に巻き込まれた人々の群像劇を通して、戦争の愚かさを観客の心に突き刺す作品です。

01 混沌とした時代を生き抜くキムという女性-心を支えた愛の存在-

この物語はキムという若いベトナム人女性を中心に、アメリカ軍が劣勢となった戦争末期のサイゴンでの日々と、その後命懸けで国外へ亡命した人々が辿った運命を描いたフィクションです。

村を焼かれ、家族を失い、生活のためにナイトクラブの仕事を始めるキム。本国での戦争反対の機運に罪悪感を感じ、ベトナムへ出戻った無気力な米兵クリス。救いのない人生に希望の光を求めるように、ふたりは惹かれあい、きな臭いサイゴンで束の間の幸せを感じていました。しかし、サイゴン陥落によってふたりは引き裂かれ、クリスはキムを残して無念の帰国。その後、キムは彼の子タムと共に劣悪な環境を生き抜きます。ボートピープルとして渡った先のバンコクでクリスが迎えに来ることになるのですが…

どこまでも報われない悲劇の連鎖の中で、クリスを心の支えにして、信仰にも近い愛を抱き続けるキム。そして、自分が叶えられなかった幸せな人生を送って欲しい、そのためには「命もあげるよ」とタムに誓い、我が子への愛を貫き通すのです。

02 戦争に翻弄される人々の姿を演じる責任、知る責任

「安全への逃避」と題された、沢田教一氏の写真を見たことはありませんか。世界史の教科書などに掲載されている、必死の形相で川を泳ぐ女性と子供の白黒写真です。戦争は罪のない子供たちを巻き込み、生まれてすぐにこの世の地獄を味わせる。そんな状況に心が痛む一枚です。この写真に限らず、記録が訴える戦争の惨さに、二度と繰り返してはならないと感じた経験はあるのではないでしょうか。

ミュージカルやお芝居で「演じられる」戦争体験は、写真が伝えるような「リアル」ではないかもしれません。ですが、登場人物を通して、戦争に翻弄された名もなき人々の人生を知るきっかけになります。

本作で言えば、米兵の相手をしてアメリカへ連れ帰ってもらうことを夢見る若い女性達、長い植民地支配からの独立を目指すベトコン、深い心の傷を負った兵士と彼を支える妻など…

彼らを演じる『ミス・サイゴン』出演者は、稽古序盤に資料ビデオなどで事実を学び、作品世界に向き合うそう。作品が語る以上の惨たらしい出来事を心に刻み、その時代を生きた全ての人々へ敬意を払って、演じる。そんな役者達の責任感のバトンが反戦へのメッセージとして観客へ受け渡され、初演から30年以上が経つ今も愛され続けているのです。

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Sasha
Sasha

2016年には作品25周年を記念した公演がロンドンで行われ、映像化されました。作品の見どころのひとつ、ヘリコプターでのサイゴン脱出のシーンでは、ヘリコプター内からのアングルが加わるなど、客席以上の緊迫感を感じられる映像となっています。 日本では残念ながら2020年公演が全て中止となってしまいましたが、2022年以降の再演を期待しています。